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31件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1980-03-06 第91回国会 衆議院 社会労働委員会 第4号

それを一部取り上げたのが三月二十三日の国民義勇隊に関する件、それが初めはそうではないと言っておったが、国民義勇隊に関する件、閣議決定、これは閣議決定閣議決定を重ねたものだから、それで閣議決定だけで命令服従、権利を制限することができぬということで、六月二十日に、衆議院で臨時議会を召集いたしまして、空襲下におきまして休んだり開会したりしておりますが、亡くなった保利さんも当時おられたし、森田重次郎という

大原亨

1977-04-08 第80回国会 衆議院 社会労働委員会 第8号

これについては少し議論になるわけですけれども、国民義勇隊の第三段階は、この文書の第一面にある義勇兵役法について六月二十二日に即日公布をしたわけですが、これは大空襲下において最後の議会昭和二十年の六月の九日の土曜日から、空襲があった日曜日を置いて十一日、十二日と三日間開かれた、そしてそこで義勇兵役法、この法律を決めた、これは非常に簡単な法律です。

大原亨

1977-03-14 第80回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第3号

したがって、空襲下におきましても農業生産は続行されたのでございます。何代か飛びまして、佐藤内閣当時——間違いは御指摘ください、発展途上国から一次産品を輸入することは、経済大国日本国際社会における義務である、このような仰せでございました。次に田中内閣政府は、国民の必要とする食糧を農家の方に生産をしていただきます。このように申したわけでございます。

甘利正

1974-03-28 第72回国会 衆議院 社会労働委員会 第12号

寺前委員 この新聞に、三月十七日ですか、「空襲下警防救護団員に年金」ということで、「遅すぎた三〇年目の救済」という記事が載っております。東京都の「犠牲者の会」という会がありまして、溝口松治さんという人が会長になっておられるのですが、この会長さんの内容がたまたまここに載っているわけですね。そうすると、全国からこの人のところにお手紙が来ているようですよ。

寺前巖

1974-03-28 第72回国会 衆議院 社会労働委員会 第12号

ですから、本土全体で空襲下にあるようなところは、戦闘に具体的に、身分はなくても参加したんだ、こういう判断でやっぱりこの解釈の適用もできるわけです。だから、そういうどたんばの実態というものを踏まえて法律適用をしなければいけない。法律だけを観念的に適用いたしまして、こうなっているんだからこうだという議論は私はいけないと思う。

大原亨

1968-04-18 第58回国会 衆議院 内閣委員会 第14号

ございませんけれども、やはり恩給法というものは国家に対して公務員として忠実に勤務し、それで一定の条件を備えた者に恩給が交付されるんだということからすると、どうもそこまでやることはできないんじゃないか、そうなりますと戦争中あの空襲下においていろいろ協力したいろいろの方々がありますから、そういうことも考えますと、ちょっとこの辺で区切りをつけたほうがいいんじゃないかという考えでございます。

新居善太郎

1968-03-19 第58回国会 衆議院 大蔵委員会 第11号

今度やられてね、たいへんだったよとか、ちょうど空襲下に盛んにあったことですが、焼かれた者と焼かれない者があるときに、やっと焼かれましたというようなもので、うちも焼けましたと言って、焼かれない者は何か肩身が狭いみたいな、焼かれてやっと一人前になったみたいなそういう調子で焼かれ方を一生懸命説明しておった。戦争中にあった悲劇の狂った一ページだと思うのですけれども、そういう現象があった。

中嶋英夫

1967-07-10 第55回国会 衆議院 内閣委員会 第30号

私は、昨年八月、空襲下ハノイに入り、ホーチミンその他の北ベトナム政府要人たちに会ってそのことを身をもって感じてまいったのであります。  かくして、現実にいまエスカレートしておるベトナム戦争、あるいは同様な形で起こるかもしれないさらに大きな戦争の場合に、日米安保条約のもとで、日本にはたして一体何が起こるであろうか。

關谷勝利

1967-07-10 第55回国会 衆議院 本会議 第36号

私は、昨年八月、空襲下ハノイに入り、ホーチミンその他の北ベトナム政府要人たちに会ってそのことを身をもって感じてまいったのであります。  かくして、現実にいまエスカレートしておるベトナム戦争、あるいは同様な形で起こるかもしれないさらに大きな戦争の場合に、日米安保条約のもとで、日本にはたして一体何が起こるであろうか。

楢崎弥之助

1966-06-09 第51回国会 衆議院 社会労働委員会 第45号

当時若干なされた二、三の例外がありますが、空襲下においてはほとんどなされていない。広島、長崎の原爆投下以降はなされていないのであります。ですから、この第一条の「軍人軍属等」——準軍属を拡大いたしましたが、その防空法の関係は、明らかにこの第一条にぴったり適合するものであります。そういうことでありますから、「公務上の」云々というこの条項には私は適合すると思うのであります。

大原亨

1966-03-01 第51回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第5号

その基準を国家総動員法に求めるという趣旨は、法治国家としていろいろ行政をやっていく上においての目安としてはよくわかるわけですけれども、実質的に、こういう医学部の学生諸君であるとか、あるいは空襲下においていろいろ警防事務にあずかった諸君、しかも、これも散発的な爆弾じゃなくて、原爆という特殊な爆弾によりまして全滅したという人たちの遺族、これに対する援護措置は、私は、何らかの方法で救ってやりたい。

倉成正

1957-04-23 第26回国会 衆議院 内閣委員会 第33号

これは明らかに恩給法上の公務死に該当すべきものであるが、たまたまそれが敵の空襲下にあって、公務執行中であったにかかわらず面接公務のように見えないので、恩給法上の公務扶助料対象になっていないというような場合、こういうのは私はこの際十分拾い上げて疎漏なきを期さなければならぬと思うのです。

受田新吉

1957-04-23 第26回国会 衆議院 内閣委員会 第33号

そういうことになりますと、たとえば戦災者空襲で死亡したというような問題、これは普通の公務で障害をした人々に関連する立場で、たとえば学校に勤務していた人が生徒を連れて空襲下において子供の待避のために非常に苦労してきたが、しかしついにそのためにやむなく逃げる道を失って死亡したというような場合は、公務に準じられた人もあるし、公務に準じられないでそのまま泣き寝入りになっている人もある。

受田新吉

1956-05-25 第24回国会 参議院 内閣委員会 第52号

吉田法晴君 両方の文章の中に出て参ります具体的な事例は、たとえば昔のこれは空襲下防火施設あるいは祭粢料といったようなことが出て参ります。それから、これは文章の中には出て参りませんけれども、あるいはたばこだとかお菓子とかいったものについて、恩賜のたばこという制度といいますか、考え方があるいはあるように思うのです。

吉田法晴

1954-10-01 第19回国会 衆議院 運輸委員会 第42号

また空襲下で沈没いたしました連絡船から、死体を数百収容した経験もある。かような経験からいたしまして、その当時私が感じました感じを、同じく大臣が感ぜられたのではないか。こういう個人的な、幸か不幸か、私の経験からいたしましてお聞きいたしたのでございます。かようなことは大臣といえども、私以上にこういう問題につきましてはお感じになつたことだろうと思いますし、あえてこれ以上追究はいたしません。

岡田五郎

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